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独り言の効用 おわりに

 おわりに 充実した独り言ライフへ  

 独り言マスターへの道 

 独り言劇場。いかに独り言を活用するかという方法を見てきましたが、これは日常生活にも通じていて、引きこもりライフから独り言ライフへの転換をも目指しています。独り言を使って日常を充実させる実験でもあります。独り言という今まで有効活用されずに見過ごされてきた資源に目を向けて、それで自己充足を目指す試みです。

 引きこもりライフで溢れ出てくる独り言は、実はとめどなく次々と湧き出てくる貴重な資源だったのです。お宝です。人と普通に話すという行為を放棄してしまった人のところに届けられる恵みです。その有り難い助け舟をみすみす逃してしまうのは、あまりにももったいない行為です。金銀財宝をどっさりと積んでこちらに向かってきてくれるのですから、感謝して受け取るべきです。

 独り言は宝の山だと気づけば、こんなに嬉しいことはありません。なにせ毎日、毎日、頼みもしていないのに、どこからともなく自分のところに届けてくれます。部屋中に沢山の独り言が所狭しとひしめいています。それをどう使うかだけです。自分を苦しめ、悩ませ、暗く落ち込ませる道具として利用するのも、楽しく面白く笑える材料として活用するのも、自分次第です。手元に最高級の食材は用意されています。それをどう自分が料理するかだけです。

 独り言は助け舟であり、相棒であり、パートナーです。良いも悪いもありません。良いパートナーとするか、悪いパートナーとするかは、こちらの責任です。せっかく、絶え間なく送らてくるのですから、良い関係を結んで充実した独り言ライフへ突き進んだほうが、楽しいし面白いです。一人で部屋の中で楽しんでも誰も気にしません。部屋の中で一人で苦しみ悩んでも誰も気にしないのと同じです。そうならば、面白おかしく独り言と戯れて、独り言を自分のベストパートナーにしてみます。

 一人でありながら、本当は一人ではなかったのです。いつもそばに独り言がいてくれます。そんな稀で貴重な存在なのですから、優しく丁寧に感謝の念を持って接してみます。どんな時でもそばにやって来てくれるのですから、こんなにありがたいことはありません。だから、閉じられた暗く湿った独り言から開かれた清々しい独り言へと進むべきです。

 独り言ひとつで日常が変わるのです。日常が変われば歩んでいる人生も変わってしまいます。何も大きなことをせずとも、独り言への接し方を変えるだけで良いのです。独り言を独り言劇場に迎え入れて、楽しく面白く遊んでみます。それだけです。それを日課としてやり続けます。独り言が良き相棒になるようにいつも一緒に戯れます。

 独り言マスターへの道を歩み始めます。どんな時でも独り言は自分を見捨てたりしません。周りに誰も人がいなくなっても独り言はそばにいてくれます。味方につければ、最強です。そんな心強い存在である独り言を究める長く続く道です。その道を毎日、一歩ずつ日課として歩んでいきます。

 独り言を採取し、研究し、変化させ、戯れ、遊びます。唯一無二の友です。死ぬまで離れずにそばにいてくれる存在です。独り言マスターへの道は、一生続いています。途中で止める必要がありません。引退がないのです。衰えてもなお健康を目指すように、独り言マスターへの道を突き進めます。これもありがたいことです。ずっと一生やることがあるわけですから、本当に独り言は心強い味方です。

 もし仮に自分の独り言に飽きたら、他人の独り言を研究することもできます。毎日、人はどんな独り言をつぶやいているのだろう、と調査に乗り出せます。自分の独り言も興味深いですが、他人の独り言を観察してみるのも楽しいと思います。独り言の志向、傾向、癖は人それぞれですから、自分とは全く違った独り言利用者が世の中にはたくさんいるはずです。

 とは言っても、人は基本的に人前で独り言を口に出して言いませんから、どういうふうに調査するかは考えないといけません。簡単に思いつくのは、SNS上の発言をある種の独り言の変形として捉えるというものです。独り言が微妙に加工されたものがSNS上の発言だと思えば、人がどんなことを独り言としてつぶやいているのかを考えてみる一つの手がかりになると思います。

 独り言の森は壮大ですから、どこからでも入っていけます。独り言マスターへの道を目指しますが、その道は決して一本道ではありません。脇道に逸れたり、迷ったり、戸惑ったり、ぐるぐると同じところを巡ったりしながら、歩んでいきます。日課として独り言劇場を開きますが、通学路のようにいつも同じ道を進むようなことはしません。変わらない日々の行ないですが、歩く道は変わっています。慣れることは良いですが、いつも同じことの繰り返しだと思ってしまうと新たな発見や驚きがなくなってしまいます。そして、その繰り返しにいつか嫌気がさして、やめてしまいます。

 それは、大変もったいないことです。独り言内対話を日課として続けていくのをやめても、独り言はずっと続いていきます。死ぬまで自分のそばにいます。それを無視して垂れ流し状態にしておくのは、宝の持ち腐れです。独り言は、人と話すことを諦めた者にとって助け舟なのです。毎日、毎日、膨大な数の舟が助けに来てくれているのです。それをそっぽを向いて無視するのではなくて、どれでも良いですから舟に乗ってみるべきです。その舟は、立派な豪華客船ではなくて板きれ一枚の筏のようなものかもしれませんが、それでも乗ってみるべきです。大型客船は丈夫でサービスも行き届いているかもしれませんが、瞬発力には欠けます。その点、ボロ板一枚の筏は、さっさと乗り換えていけます。自分のところにはボロボロの板きれのような助け舟しか来なかったとしても、独り言がせっかく送ってくれた救いの手を掴むべきなのです。それためには、独り言を垂れ流し状態で放置せずに独り言劇場を日課として行ないながら、同じ行為の繰り返しの中に変化や違いを見出すことが必要になってきます。それでこそ、独り言マスターへの道が開けるのです。

しかも、それは自己充足の道でもあります。自分で自分を満たす行為でもあります。満ち溢れた状態の自分が独り言ライフを送ることで日常を充実させます。一日一日を満足して終えていきます。一日一回、独り言劇場を開くことで自分を満たします。そのためには、閉じた独り言から開かれた独り言へ向かう必要があると考えています。基本、独り言は閉じた一人だけのものですが、それを開かれた自分一人だけのものではない方向を目指してみます。オープンで開け放れた換気の良い清々しい独り言というものを考えてみます。その開かれた独り言が実際にどういうものであるのかは、日課として独り言内対話を続けながら模索してみます。

独り言は一生そばにいてくれる大事なパートナーですから、良い関係を築いていくためにも開かれた心地良い独り言劇場を作り出してみます。気まずい居心地が悪い関係を独り言と築き上げても何か面白そうなことが起きそうではありません。独り言を通して何か楽しく面白いことを起こそうとするならば、先ずは独り言を巡る環境に目を向けてみます。爽やかで気持ち良い開かれた独り言劇場を日課として開き続ければ、日々の生活も充足してきます。開かれた時間と空間を日常に持ち込めれば、日常のベースも開かれた良い空気が流れるものに変わっていきます。

日常に満足し、満ち溢れた気持ちで一日を終える機会を開かれた独り言内対話をルーティンワークとして目指すことで得られます。独り言という誰もが常に利用しているものを使って充実した独り言ライフ、そして、独り言マスターへの道を歩むことは、日常すらも変える威力を持っていると思います。いつもどんな時でも独り言はそばに存在しているのですから、上手に付き合って味方にするだけで何かが起こる予感に満ち溢れてくるはずです。そんな素晴らしい可能性を秘めた独り言を自分を落ち込ませ悩ませるだけの道具として利用するのは無駄遣いです。

独り言を活かすも殺すも自分次第です。自分で決められるのです。どんな独り言をつぶやいていようが誰も何も気にしません。自由です。好き勝手にできるのです。そうなのですから、一人遊びをしている幼児のように楽しく面白く笑ってしまうような独り言劇場を日課として自分のものにしてみます。長く続く独り言マスターへの道を一歩ずつ歩んでみます。

でも、同時に諦めてもいます。独り言内対話を日々、続けていっても、それで何か偉大な大きなことができるわけでは決してありません。そんなことは無理だとはっきりと分かっています。生真面目に毎日やり続ければ、きっと将来、凄いことになるという期待もありません。だから、端から真面目に真剣に肩に力を入れてやることはありません。一人遊びをしている幼児が見本ですから、意地を張る必要は全くありません。気軽に冗談のようにやり続けていきます。

独り言マスターへの道といっても遊びですから、それで全く問題ありません。得にも何にもならなくても気にしませんが、遊びなのですから楽しく面白く笑えるものではあります。それがないと、せっかくの遊びが台無しです。独り言遊びを日常に取り組むことで、自分で自分を楽しみで充足させる道が広がっています。

所詮は遊びです。それを忘れずに、一日24時間の中のどこかに常に遊びの時間と空間を持てるようにします。大人になってからも遊びの時空間が一日の中に必ずあるというのは、きっと楽しく面白いことだと思っています。

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