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引きこもり当事者カラッと研究術 2

2.心地良い環境作りへ

 一日24時間の日常生活の中で心穏やかに待つ時間を確保しようとすると、気分や気持ちなどの内面だけではなくて、自分の外へ向けての働きかけも重要になってくると思います。周りの空間や場所という外部の環境を心地良いものへと仕向けることで、巡り巡って内側、つまり心も穏やかになってくるのではないかと考えています。また、心の動きの癖や傾向やパターンを変えようとしてみても、もうすでに習慣づけられているものを直すのは多大な労力を要することであり、仮にそこに大量の時間を投入してみたところであまり期待通りの成果は得られないように思います。

今の引きこもり生活を心底変えたいと強く願っていてもどうしてもその生活から抜け出せれないのは、ひょっとしたらあまりにも今の自分自身を変化させようとし過ぎているからかもしれません。人と上手く接することができない自分を何とか必死に変えようと焦り過ぎて空回りしているだけかもしれません。性格や人格を変えるというハードルが高すぎる恐るべきことを闇雲に目指しているだけかもしれません。そして、そんな誰にも不可能のような難関を越えられなくて、落ち込んで沈んだ気持ちになっているだけかもしれません。

性格を変えるなどというのは、体中に流れる血液をすべて自分自身で取り替えようとする行為のように見えて、できなくても何の不思議もなく、悩んで落ち込む死に時間を大量に作り出してしまうだけではないかと思ってしまいます。そんな難攻不落の要塞に立ち向かおうとしなくても、周りにはもっと楽に容易に変えられることがあると考えています。先ずは、その手軽に変えられるところから始めてみるのが得策だと思っています。

その変化し易く、させ易いものが、周囲の空間や場所といった環境だと考えています。自分自身の立ち振る舞いや言動を無理に半ば強制的に変えようとするよりも、はるかに簡単に変更できます。何も大袈裟なことをせずとも小さな身の回りの空間や場所に気を使っていくだけでも日常の生活が違ってくるはずです。

自己啓発のような辛くて、過酷なことはとりあえず脇に置いて、先ず今、引きこもっている部屋に目を向けてみます。一日24時間のほぼすべての活動を行う拠点である自分の部屋は、今、どんな感じでしょうか。日々の生活を送る大事な足場であり、土台である自分の陣地は、しっかりと安定しているでしょうか。じっくりとその場を観察してみます。机や洋服ダンスやテレビやテーブルやベッドの配置、絨毯や畳の状況、壁やカーテンの色合い、壁に貼られたポスターやカレンダーや時計の位置、照明の形や数、窓の場所や自然光の射し方や風通し、香りや音などとにかく部屋全ての空間をゆっくりとじっくりと時間をかけて出来る限り意識してみます。

また、いつも居る場所も指定席のようにほぼ定まっているかと思いますので、そこから見える部屋全体の様子とそことは違う位置からの部屋の雰囲気を見比べてみたり、立った状態で見渡してみたりと、視点を変えることでどんな景色が現れ出るかも調べていきます。さらに、匂いにだけ意識を向けてみたり、音にだけ注意を払ってみたりするのも興味深い観察だと思います。

そして、その空間を作り出している張本人としてその場をどう感じているでしょうか。心地良くていつまでもずっとそこに居たいと思えるような場所になっているでしょうか。それとも、窮屈で圧迫されているような息苦しさを感じるでしょうか。どのような印象を受けるにせよ、その場の空間を生み出しているのは自分自身です。自分が、その場をどういう所にするかの最終決定権を持っています。もちろん部屋の間取りや家具や壁の色合いなど全てを自分で決めたわけではないと思いますが、移動させることができる物を今の場所に置いているのは自分自身の意思によると思います。たとえその配置を意識していないとしても、無作為の作為のようにその物の置き場を気にしないという意思表示をしていることにはなると思います。部屋の主として、そこにある物や家具などの位置を意識するしないに関わらず、その空間を支配してしまっています。

それだけ強大な力を自分の部屋という空間に対して持ち得ているのですから、その権力を上手に自分に都合よく利用すべきだろうと思います。部屋の中の物は自由に好き勝手に移動させることができるのです。壁に何を飾るのかも、家具をどこに置くのかも誰にも邪魔されずに決められるのです。この偉大な権力を是が非でも行使してみます。思う存分、遺憾なく力を発揮して、今、引きこもっている部屋を自分にとって心地良くて落ち着ける空間にしていきます。

しかも、それをするのにお金もかかりません。基本的に僕たち引きこもりはお金をたくさん持っていないと思いますので、これは本当に有り難いことです。部屋の掃除をしたり、必要ない物を捨てたり、家具の場所を変えたりすれば良いだけです。それだけで当然、その空間の雰囲気は変化しますから、それがその場の主である自分自身の気分や感情にも影響を与えます。そして、空間を変えたことでどんな感じがするか、前よりも気持ち良い環境になったかどうかを観察し、さらに手を加えるところはないかと考えて一日の活動表に書き記していけば良いと思います。

新たな日常の構想を練るためにも根城である自分の部屋が空間として心地良くないと、そこから良いものが生み出される可能性も低くなるだろうと思っています。ですから、事細かに個室の中にある物の配置などをチェックして、実験するようにその置き場を色々と変えてみます。その際に、部屋の風通しや太陽光の入り方を良くするために机の位置を変えてみたり、花や植物をテーブルに飾ってみたりするのも手だと思います。また、香りにこだわりがあるのならばアロマを焚いたり、音楽がBGMのようにかかっている環境を作り出したりしてみても良いと思います。その場の権力者として、自分のホームベースに相応しい理想的な空間を築き上げていきます。時間は死ぬほどありますから、焦らずゆっくりと自分にとってベストな素晴らしい空間を実現させてみます。そこがこれからの日常のすべての出発点になってきます。

また、少しは家から外出できるような状態でしたら、自分が心地良いと思えるようなお店や場所を探し出して、なぜそこが気持ち良いと感じるのか観察して自分の部屋の環境作りの参考にしてみるのも面白いと思います。自分にとって最適な空間とは何か、それを追求してながら自分の部屋に手を加えていく作業は案外楽しいものだと思います。

そのように徐々に理想の空間に自分の部屋を近づけていくうちに、穏やかな気持ちで居られる時間も増えてくるだろうと考えています。一日中ほぼずっといる場所が心地良いものになれば、自然と心も落ち着いて朗らかな気持ちになってくるはずです。ですから、注目すべきは、やはり内面ではなくて、むしろ外部の空間や場所だと思います。焦って慌てて何かにすぐに反応してしまわないような穏やかに待つ心を持つためにも周りの環境作りに気を配っていきます。

自分自身と自分にとって一番大事な場所や物との関係をより良いものにすることを目指します。僕たち引きこもりは、対人関係が得意でないことが多いかと思いますが、人と人の関係よりも先に人と空間のそれに目を向けていきます。自分自身と大切な場所や物との関りであれば、苦手な人とのそれよりもはるかに容易に改善できると思います。また、精神的な負担も対人関係のそれよりもはるかに軽いです。先ずは、出来やすいところから、崩しやすいところから始めてみます。そして、この自分と身近な空間の繋がりを見直す環境作りの時間もしっかりと一日の活動表と計画表の中に組み込むと、これまた今までとは違う日常の時間の使い方になってきます。

そこで、もうそうなると、今、引きこもっている自分の部屋だけでなくて、さらに家全体を心地良い空間にするべく活動すれば良いのではないかと思います。気持ち良い穏やかな空間を自分の部屋から徐々に家すべてに広げていくということです。自分の個室だけでなく、家全体が好ましい雰囲気に包まれれば、その波及効果は計り知れないものがあります。    

 今、どんなに部屋に引きこもって一歩もそこから出かけない日常を送っているとしても、多くの場合、自分の部屋がある家の別のところには他の人も住んでいるだろうと想像します。たとえどんなに社会生活を拒絶している状態であったとしても、最低限この周りの人とは何らかの関係を結んでいるはずです。全く会話もない、顔も合わせない状態であっても、そういう゛疎遠な゛関係を周囲の人と築いていることになると思います。同じ家に住んで暮らしているということは、もうそれだけで何らかの形で日常を共有していることになりますので、そこに関係ができるのも当然なことだと思います。

そして、この最低限の対人関係が多少なりとも良いものでないと、どうしても心穏やかに過ごすことの障害になってくると考えています。やはり無視することはできない関係ですし、引きこもってそれ以外の深い対人関係もありませんし、たとえ表面上は平静を装っていても、心の中では気になっていると思います。

ですから、できる限りこの周りの人との関係も良きものにしていきたいところですが、僕たち引きこもりは、対人関係、つまり、人と接して話すことが苦手で不得意だろうと思います。たとえ相手が親であっても、もしくは親であるからこそ、会話を交わして関係を改善しようと試みるのはなかなか容易なことではないと考えています。口下手である僕たちが周囲の人との関係を少しでも良くしようと苦手な会話にトライしてみても上手くいかず、余計に話しがこんがらがってしまってますます険悪な関係を築いてしまいかねません。それは避けたいところです。

だからこそ、会話を使ったコミュニケーションではなくて、人と空間の関りに注目して家すべての環境を心地良いものにしていくことで、そこに住んでいる人たちの心も穏やかにしていく方法が良いのではないかと思います。人を取り囲む場所や空間が対人関係にも当然、影響を与えてきますので、好ましい影響を及ぼすような環境を家全体を使って作ってみます。人と物や場所といった空間の繋がりを上手く利用しながら、直接ではなくて遠くから人と人の関係にも関与してみます。不得意なことに直接、体当たりのように挑戦してみても、当たって砕けてしまうことになりかねません。先ずは、外側から、外の環境作りから始めてみます。    

ただ、そのように周りの人との関係をより良いものにしようと外部の環境に働きかけますが、それは心穏やかに待つ時間を保つためであって、周囲の人に迷惑をかけて悪いからとか、人と上手く接したいからとか、まして、人と仲良くしたいからといったものではありません。そこのところは常に意識しておきます。新たな日常を作り上げるのに必要な穏やかな心を持つために行ないます。

対人関係を過剰に意識してそれを改善することを最大の目的にしてしまうと、結局、相手の顔色ばかり窺って行動することにもなりかねません。そうなってしまうと、手元に溢れている大量の時間も、もはや自由なものではなくて、強制されたものに変わってしまうかもしれません。やはり不得手なことに目を向けるのはほどほどにしたほうが無難だと思います。周囲の人との関係を見直すのも自分が心地良く過ごすためだぐらいに自己本位に考えたほうがむしろ良いだろうと思います。

では、家全体を落ち着けてリラックスできる空間にするべく動いてみます。もうすでに自分の部屋で実践済みですので、それを広げていけば良いだけです。ただ、一点だけ自分の部屋と大きく異なるのは、他の人も足を踏み入れて日々、活動するところだということです。自分の部屋は、個人の場でしたが、今度は、共有の場になります。その違いを少し念頭に置いて、あまり自分の趣味全開の空間を作り上げるようなことはしません。もしそうしてしまうと、個人の空間が共有の空間を脅かすことになり、周りの人との関係を良くするどころか、悪くしかねません。そこは十分に気をつけていきます。

一日の活動表や計画表をつける際に、同じ家の中で個人の空間と共有の空間ともにどうすれば心地良いものにできるかのアイデアを書き出してみるのも楽しい作業だと思います。どのぐらい個室の環境が共有の場に入り込んできても大丈夫なのか、そもそも個室と共有スペースの境界線ははっきりとしているものなのか、など家の各空間について考えてみるのも興味深いと思います。また、そのように考えるだけではなくて、実際にその場所に手を加えて自ら影響を与えることができますので、やり始めると結構、夢中になるかもしれません。

当然、家全体の環境作りでもお金はかけません。お金は、いざという時のために大事にとっておきます。それに反して、時間は有り余るほどありますから充分に使って家すべての環境作りに挑んでみます。でも、力む必要はありません。掃除して、物を整理していくだけでも徐々に気持ち良い空間が立ち現れてくると思います。

ただ、急に家の中の掃除をし始めると、周りの人が驚くかもしれません。どうしたのだ、一体何が起きたのだ、と不思議がられるかもしれません。ですから、初めのうちは自分の部屋の掃除の延長のように家の中の共有スペースもついでに片付けているふりをするのも手だと思います。また、他の人も利用する場所ですから、いきなり家具や物の配置を変えるような大改革ではなくて、窓ふきや埃取りなど小さな、それでも確実にその空間が変化していく方向を目指してみます。家の中が綺麗になることは何も悪いことではありませんから、初めはびっくりしても周りの人もそのうち慣れてくると思います。そして、何かやる気になった、と喜んでくれるかもしれません。

また、この家全体の環境作りを進めていく上で特に気になるのは、自分の部屋から出て共有の場に以前よりも長く居るために人と会う機会が増えることだと思います。ここはちょっと考えどころです。この対人関係を気にし過ぎるあまり家全体の空間作りに乗り出せないリスクもあります。

しかし、ここではあくまでも対人関係がメインではありません。回り回ってそこに影響を与えることを期待していますが、直接、立ち向かう必要など全くありません。人と接したり、話したりするのは苦手で不得意なことですから、その得意分野でないところで敢えて勝負するのは避けて、なるべく遠くから、離れたところから、そこに働きかけてみます。場所や空間が人の感情や気分に作用する効果を利用することがここでの目的ですから、先ずは家という環境をどうすればもっと明るく広く感じられ、心地良い場になるかを考えてそのために動いてみます。

その実験の際に生じる周りの人とのコンタクトは、あくまでも二次的なものであり、どう対応するかを真剣に悩むべき最重要事項ではないことを強く意識しておきます。家を片付けている人という役がしっかりとありますから、その役割を遂行するのに必要なやり取りだけを周囲の人とするように心掛けます。環境に手を加えることで生じる人の気分や感情の変化に常に注意を向けます。対人関係という苦手なことには、あくまでも間接的に、遠回りに、関わってみます。

この家全体に関与していく環境作りの作業ですが、毎日、コツコツと実践していくのが良いだろうと思います。日常の新たな時間の使い方として一日の予定の中に組み込んでしまいます。そうすれば、毎日、見直しの機会も得られますし、習慣づけていくことで今とは違った日常を生きていく一助にもなると思います。

さらに、一日の活動表と計画表を記す際に、今日の環境作りの活動を振り返って、明日の行動に活かせるようなアイデアも書き出してみます。各空間を個別バラバラに意識することも大切ですが、それが集まって全体としてどういう雰囲気になるのかも考えてみると面白いだろうと思います。家全体の間取りを書き出して、掃除して綺麗にした部分や物を動かした箇所などを書き加えてみるのも良いと思います。それを眺めて、家という総体としてどういう環境になってきているのだろうかと考えてみるのも興味深いことです。空間を整理する行為を積み重ねていくと一体どういう結果を導くことになるのか。家全体を使った実験です。実験には面白い仮説があれば興がますます乗ってくると思いますので、様々な案をできる限り考え出してみます。

ですから、もし家に庭などがあれば素晴らしいと思います。庭は家の中の各空間よりもはるかに自由に変えることができます。色々と実験がしやすいです。どんな花や植物や野菜をどこにどう植えるかをある程度、好きに決められるし、それによりガラリと庭の雰囲気も変わってきます。また、季節によって大きく見た目が変化します。しかも、家の中の家具や物と比べて、庭に咲く花や植物は生きており、予想以上に茂みのように育ってしまったり、枯れてしまったりすることがあります。家の中の空間よりも手を加えやすい反面、思うようにはいかない部分もかなりあり、家の中の環境作りとは異なった関与の仕方が必要になってきます。

また、花や植物は生きていますので、庭という環境が人に与える影響も家の中のそれとは違ったものになると思います。色とりどりの花が咲き乱れる素晴らしい庭を作り出したら、人の心にどんな作用を及ぼすのでしょうか。壮大な実験です。家に庭があれば試してみる価値があると思っています。また、庭がなくても、花や植物を家の中の共有スペースに置いて、その空間が色や匂いを含めてどういうふうに変わるのか観察してみれば良いと思います。そういう自然物が、硬直してしまった人間関係をほぐしてくれるかもしれません。

 このように家すべての環境作りを日々、行ない、周りの人と接する機会があれば、その都度どう対応したか、相手はどう反応したかなども書き残しておきます。たとえ仮に上手く対応できなかったとしても、気にしません。苦手で不得意なことですから、上手に振る舞えなくて当たり前です。もし上手くできたら、それこそ疑いたくなります。書き記しておくのは、下手な対人関係を改善するためというよりも、自分自身についての資料作りのためです。自分がどう人と接したり、話したりしているのかの具体的なサンプルを取るためです。ですから、どうすれば自分の対人関係スキルを上げることができるかという苦手克服のようなことは目指しません。そこに直接働きかけるつもりは全くありません。不得意な対人関係に直に手を加えるような危険な真似は絶対にしません。

 人と接することになっても、あくまでも空間作り職人としてその役割を演じます。役が馴染まない間はぎこちないかもしれませんが、そのうち周りも自分も慣れてきて板についてくるはずです。職人は無口というイメージもありますから、その印象も借りながら役を作り上げてみます。環境作りに徹底する職人です。大きな目的をしっかりと見据えていれば、目の前の些細な対人関係など気にする余裕もなくなってくると思います。そんなことにいちいち思い悩む時間がもったいなくなってきます。もっと沢山の時間を空間作りに当てたくなってきます。

あと、一日24時間のどの時間帯にこの環境作りの作業を行うのが最適なのか、午前中、昼食後、夕食前など色々と入れ替えて探ってみると良いと思います。また、自分の都合だけではなくて、同じ家に住む他の人の予定も掴んでアクションしてみるのも興味深いかもしれません。家に自分以外誰もいない時を見計らって、ある空間を綺麗にしてみたり、または、何曜日の何時にいつも同じ場所を掃除してみたりと様々な実験をしてみます。

どの空間にいつ、どのように関わるかを決めていくうちに、もはや空間作りを越えて空間を操る、空間操作という側面も出てくるかもしれません。これも興味深いことです。やはり、見るべきは、苦手な対人関係ではなくて、場所や空間という環境だと思います。もっともっと外に目を向ければ、色々と新たな驚きや発見があります。人間関係という自分の弱みばかりを見つめる視野狭窄に陥ることなく、もっと広々とした外の空間を眺めるようにしてみます。

そうやって会話ではなくて掃除で環境を良くしていって、さらに高みを目指すにはどうすれば良いでしょうか。空間作りの次ということですが、食べるという行為がポイントになってくるのではないかと思います。献立作りや買い物から始まって、料理、食事、そして後片付けと、多くの時間を食べるという作業に費やしています。しかも、朝、昼、晩と一日三回もこの食事に関わる時間が用意されています。合計時間で見れば、人によると睡眠時間よりもひょっとしたら多いかもしれません。

せっかくこれほど膨大な時間を一日の中で使っていますから、この食べるという行為に関与しない手はないと思います。ここに介入することで、間接的に周囲の人との関係をより良いものにできれば、心穏やかに過ごす時間をより多く持てるようになるのではないかと考えています。話し合って分かり合うことを目指すのではなくて、周りの空間や場所を居心地良いものにしていき、さらに、食事の作業に関わっていくことで、対人関係に影響を与えてみるということです。

当然、食事は、生きていく上でも人間関係の上でも重要な地位を占めていますし、一緒に食卓を囲んで同じ物を食べることである種の仲間意識や共同体感覚も生まれてくるのだろうと思います。食事風景を見れば、そこにいる人たちの関係もある程度、分かってしまうかもしれません。そして、その食べることに付随している栄養を体に取り込むだけではない多種多様な事柄や関係が、過剰に意味付けされて疲れてしまうこともあるのかもしれません。生活に不可欠な食べるという行為は、不思議なものでもあり、一筋縄ではいかないのだろうと思います。この複雑怪奇な一日三回繰り返される食事を同じ家に住んでいる人たちとどういうふうに共有していくか、あるいは拒否して一人で摂るのか。これは観察と実験のし甲斐があると思っています。

先ずは、今、どのように自分が食事を摂っているのか確認してみることから始めてみます。朝、昼、晩、どのようにご飯を食べていますか。引きこもっている部屋で一人でさっさと栄養補給だけを目的に食べ物を口に運んでいますか。それとも、誰もいない時を見計らってコッソリと共有スペースである台所で食べていますか。また、その食事は誰が作っていますか。スーパーやコンビニの出来合いの物でしょうか、それとも誰か周りの人が料理した物でしょうか。さらに椅子に座って食べているでしょうか、または、立ったまま食事を済ますこともあるでしょうか。

そのような自分自身の食事状況を細かく調べて、これも一日の活動表に書き記していきます。食事の時間帯、場所、人数、品数や料理の種類、器やコップの形や色、テーブルクロスのデザイン、照明の当たり具合、テレビや携帯電話を見ながら食事をしているか、などもじっくりと時間を使って観察して書き出してみます。それが、生活のかなりの部分を占める食事の今の日常でのあり方です。普段、それほど意識を向けていないと思いますので、しっかりとそれを把握してみます。それだけでも自分の日常の時間の使い方を見つめることになってくると考えています。

この日常の食事のあり方は本当に人それぞれだと思いますが、ただ、引きこもりとして同じ家に住む人たちと一緒に食卓を囲んでご飯を食べるという行為は苦手で不得意ではないかと想像しています。いくら無言で箸を動かすだけであっても、いやだからこそ、食卓という対人関係を避けるようにしているのではないかと思います。ですから、このメインの食事を共にするという関りは少し脇に置いて、先ずは食べるという行為に付随する他の部分を見てみます。        

当然、食事には、献立決め、食材の買い出し、料理、テーブルセッティング、食後の皿洗いなど様々な段階があります。物を食べる以外のこの比較的区切りがはっきりと分かれている行程のどこかに、好きなところ、自分にもできるところはないかと探ってみます。好きではないこと、たとえば料理が苦手であれば、何か作ってみようとはしないほうが良いように思います。不得意なこととは距離を取って、少しでもできそうなことをしたほうが、当然ですが上手くいく確率も高くなると思います。

また、このように食事の流れのある部分に介入しようとするのは、あくまでも自分が気持ち良く落ち着いて過ごす時間を確保するためだということを忘れないようにします。そのために食事を通した人との関係に注目しています。そこは常に念頭に置いておきます。

食事のどの段階に関与するかは人によってまちまちだと思いますが、どの部分に関わるにしても多少なりとも周囲の人とのコミュニケーションが必要になってくるだろうと思います。共にご飯を食べる食卓という場を作り上げる作業であり、日々、欠かせないものであり、儀式のような側面もあるので、家全体の環境作りよりは少しハードルが高いように感じます。家の掃除の場合は、毎日、必ずしも不可欠なものではないですし、同じ物を同じ場所で同じように体内に入れるというようなものでもないですので、単独行動が比較的取りやすいと思います。

 ですから、先ず初めに家の中をある程度、居心地の良い空間に作り上げたうえで食事に関わるようにしたほうが良いのではないかと思います。家が総体として心地良い場所になることで、そこに住む人たちの気持ちも気分も前よりは落ち着いたリラックスしたものになってくると思いますので、そういうプラスの感情になってきた周囲の人と食事に関する会話を試みてみます。それでも、話すのが得意ではありませんので、必要以上に口は開かないで食事の準備を手伝うことを申し出てみれば良いだろうと思います。

外に出られるならスーパーへの買い出しを代わりに引き受けてもいいですし、料理ができるなら何か一品作ってみてもいいですし、食卓のセッティングや食後に皿洗いをしてみてもいいかと思います。無理をせずに一つの行程に関わってみます。その作業の間、掃除の時よりも周りの人との距離も関係も近いと思いますが、役割がしっかりとありますから、その役そのものになって取り組みます。

また、食事は一日三回ありますから、初めから朝、昼、晩すべてに関わるような無茶はせずに、どれか一回の食事の手伝いから始めてみます。そして、食事の作業のどこかに自分の役割を得て生きることの根幹である食べるという行為に関わっていくことで、どう周りの人との関係や自分の心持ちが変化していくか観察していきます。

そのように食事のある過程に関与するようになれば、食卓を囲んでご飯を一緒に食べるという行為に対しても以前よりは拒否反応がなくなるのではないかと思います。たとえ無言で食事することに変わりがなくても、物を食べる以外にも何か食事の行程に関わっていますので、食べる人という役に加えてさらに別の役割があり、それが食卓の雰囲気に影響を与えないことはないだろうと思います。食事という流れに今までとは異なったアプローチをしていますので、それがその場に変化を加えてくれるはずです。

もし食事の準備を手伝いながら食卓で一緒にご飯を食べることが日常になれば、それだけで、たとえ食事中に何も話さなくても対人関係は変わってくると思います。話すことだけがコミュニケーションではありませんから、口で伝えるのが苦手であるならば、それは必要最低限に留めて、他の方法を試してみれば良いだけです。何も話さなくても心地良い気持ちでその場に居れば、それが周りの人にも良い影響をもたらします。無口だけど一緒にいると何だか落ち着ける人物を目指してみるのも良いかもしれません。だから、誰かと言葉を交わそうなどと力まずにゆっくりと静かに心穏やかに食卓でご飯を食べてみます。食事の手伝いもできる限りしていますから、後ろめたい気持ちになったり、気まずく感じたりせずに、空間と食事に手を加えてみた実験結果をじっくりと観察してみます。

また、食事は一日に三回訪れる儀式のようなもので、朝、昼、晩の三度もチャンスがあります。そのどこにどう介入するのが自分にとってベストなのかも探ってみます。食事の儀式の側面を意識しながら関わってみるのも興味深いかと思いますし、食卓の空間に気を配って器やコップや照明やテーブルクロスなどを変えてみるのも一つの手だと思います。

 ここまで心地良い穏やかな気持ちを持てるように空間と食事という環境作りを見てみました。次は、実際に心静かに過ごす時間を確保できた後に何をするかを考えてみたいと思います。穏やかな心持ちで、過去にけりをつけに行きましょう。

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