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独り言の効用 はじめに 

はじめに  独り言ライフへ

 引きこもり生活を続けていると、当たり前のことですが、人と話す機会が無くなってきます。また、もし仮に人と会話することがあったとしても短い受け答え程度のものになってきます。そもそも人とコミュニケーションするのが苦手だから引きこもっているようなところもありますので、話さなくて良いのならそれに越したことはないとも思えてきます。

でも、そうやって誰とも口を利かずに部屋にずっと一人で引きこもっていると、どうしても独り言が出てきます。何かブツブツとつぶやき始めてしまいます。初めのうちは心の声として密かに静かにつぶやいていたはずなのですが、いつの間にか独り言を口に出して大きな声で話している自分自身に気づいてはっとしてしまいます。

 独り言の頻度は、人と会話しない期間が長くなるにつれてどんどんと増えていくようです。どうやら誰とも話さず独り言さえ言わずに長く過ごすのは難しいみたいです。いや、たった一日だけでも全く独り言無しで過ごすのは困難なことだろうと思います。

一人で引きこもっていても、「話す」という行為からは完全には逃れられないようです。どうしたって付きまとってきます。どんなに独り言をしないぞ、と心に誓っていても、いつの間にか、どこからかスルスルと忍び込んできて、勝手に一人で話し出してしまっています。

生きることと話すことを切り離してしまうことは無理なのではないかと思います。誰とも話さず、独り言も全く言わずにずっと長く生きた人っているのでしょうか。食べることや寝ること無しには誰も生きていけませんが、それと同じくらい話す行為無くしては人は生きていけないようです。

そうなると、人と会話するという道をほぼ封じてしまっている引きこもりライフでは、話す行為として独り言が重要になってくるはずです。話す行為が生きることに欠かせないものであるならば、当然そうなります。引きこもりライフと独り言は、切っても切れない関係にあります。

多くの場合、ほぼ無意識の活動のように独り言は発せられているのではないでしょうか。よし、これから独り言を言うぞ、と思って始めることはあまりないように思います。勝手に知らず知らずのうちに心のなかで、または口に出して独り言をつぶやいてしまっています。当然、「今日の独り言」というようなお題を予め決めていませんので、好き勝手なことを無意識のように一人でつぶやき続けています。

さらに、たとえ無意識的であっても、なぜか自然と独り言の内容というのは、ネガティブなものに流れてしまう傾向があるようです。引きこもって独り言だけが唯一の話す行為になってしまっているからかもしれませんが、引きこもりライフの独り言をチェックしてみると決して明るいとは言えません。  

無理にポジティブな明るい独り言を言う必要はないと思いますが、悪態だらけの酷い内容の独り言を散々つぶやいて、それでストレス発散となるならそれでも良いですが、決してそうはなってくれません。どっと疲れて、何を一人でつぶやいているのだ、寂しい、話し相手が欲しい、と今度は、嘆きの独り言が始まってしまいます。

ですから、引きこもりライフでの唯一の話す行為である独り言をどうにかしたほうが良さそうです。独り言を完全に封じ込めるという手は、話すという生きるために不可欠な活動をすべて遮断しようとする試みであって命を落としかねない危険な賭けですし、それに無意識的な独り言を完全に止めることは無理だと思います。そうなると、独り言をある程度意識下においてコントロールしてみるのが良さそうです。

全く好き勝手に独り言を野放しにしておくと、とんでもない方向に向かってしまって、独り言で自分の首を絞めてしまいかねません。引きこもりライフの唯一の話す行為ですから、大事に労わりながら上手く利用できる方法を探ったほうが得策です。意識せずに発していることが多い独り言に意識的に介入してみます。

人と話すことに比べて、独り言には関与できる隙がたくさんあります。なにせ自分で自分に一人で話しかけているのですから、コントロールしようと思えばできないことはないはずです。よく考えてみると、独り言を意識せずに野放し状態のままにしているのは、結構、もったいないことです。しかも、その無意識的な独り言で自分で自分を傷つけてしまっているのなら、なおさらです。

明るくて清々しい独り言というものが果たして存在するのか分かりませんが、あわよくば、未知のそれを獲得できるように充実した独り言ライフを目指してみます。一人っきりの部屋で一人で喋りまくってとても充実した一日を過ごすことができれば、それは結構、凄いことだと思います。

 今の無意識的な垂れ流し状態の独り言を意識的に自分のコントロール下に置こうとするだけでも独り言の質と量に影響を与えることができます。独り言を採取して研究して改善していくのです。それだけのことです。

話す行為としての独り言を我がものにすべくスキルを少しずつ磨いていく引きこもりライフはそれほど悪くないと思います。むしろ、楽しくて面白い日常を送れるかもしれません。独り言をコントロールするという意識を持って、積極的に一日の中に独り言タイムを作り出して独り言ゲームを楽しんでしまいます。毎日、毎日、自分で自分に話しかける独り言は、良くも悪くもじわじわと呪文みたいに効いてきますから、そこを少しいじってみます。

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