さいごに 53 歳の引きこもり(自分)に向けて 10年後、 2031 年に 53 歳になった自分に向けて未来を書くようにここまで書き続けてきました。コロナで仕事がなくなり日常に大きな空白の時間がぽっかりと開いて、それを埋めるかのように書く行為が入ってきました。どのようにこの膨大で真っ白な時間を使うことになるのかと少し他人事のように一年以上にわたって観察していたところ、書くことが新たな日常の行為として定着してきました。そして、毎日、毎日、飽きもせずに書き続けながら、結局、引きこもるという行為を考えるようになりました。やはり、ここが根源のようです。ここを避けて通ることはできないようです。これからも見つめていくことになるのだろうと思っています。 それにしても、 2031 年に 53 歳になった自分はどういうふうに10年前に自分が書いた文章を読むのでしょうか。そこに書かれたこととは全く違った道を歩んでいるのでしょうか。それとも書いたことを真に受けてもろに失敗してしまっているでしょうか。いずれにしても、未来を書く行為は、面白くて楽しい営みだと思っています。 実際に未来を書いてみても今も不安や悩みに苛まれることが多々ありますが、それでも書き続けるという人生の最終目標を手に入れたことで不思議と満たされた気持ちになっています。自分は満ち溢れている、もう大丈夫だ、と本当に不思議なのですが思ってしまいます。何の根拠も全くないのにです。だから、部屋に引きこもって悩み苦しんでばかりいるならば、ひたすら書き続けてみれば良いと思います。必ず何かの助けになると信じています。 また、大量の空白の時間を日常の中に与えられたことで、空の写真を携帯電話で撮るようになりました。日常に夕暮れの空を眺めて写真に収めるという空の揺れ動きを感じる時間が入ってきました。ずっと動き続けている空の一回性を見つめながら、何も変わらない見飽きた退屈な日常というものは存在しないのではないかと思い始めました。しっかりとよく見ていなかっただけかもしれないと感じてきました。同じ空がないように、同じ日はないですし、当然、毎日、自分も歳を取っていきます。死に向かっています。変わらないものはないし、すべては揺れ動いています。それを全く同じだと見なすのは、そう思い込んでしまっているだけではないのか。
引きこもりが生き延びるための知恵を出し合っていければ幸いです。