1.世界有数の時間持ちとして
引きこもることの最大と言っても良いほどの利点は、自由に使える時間が山ほどあるということだと思います。これは、考えれば考えるほど、本当に凄いことだと感じます。現代に生きる者の定めのように多くの人は、子どもも含めて時間に追われながら日々の生活を送っているかのように見えます。何かと、ぎっしりとやるべき事が山積みで自由に好き勝手に使える時間は限られてしまっているかのようです。一日ではとても消化しきれないほどの膨大な仕事や用事を毎日、抱え込んで生きているかのようです。
それに比べて、僕たち引きこもりはどうでしょうか。腐るほど自分で好きに使える時間を手にしています。多くの人があまり持ち得ていないだろう貴重な自由時間を僕たちは余裕で半ばポイ捨てするように所有しています。この自由に使える時間に関してだけは、どんな金持ちや著名人たちよりも僕たちのほうが持ち得ていると言っても良いかもしれません。
つまり、僕たちは、世界に名だたる富豪でさえも手に入れられないほどの驚くべき時間持ちだったのです。この点は、もっとフューチャーされても良いと思います。もしかしたら、ある意味、この世の中でかなりの自由を得ている人々の部類に僕たちも入るのかもしれません。また、ひょっとしたら、お金がない、仕事がない、友だちがいない、恋人がいない、ということよりも、時間がない、ということのほうが考えようによっては重症かもしれません。
だから、部屋に引きこもって、自分は何もない、何もできない、駄目な奴だ、などと嘆くのはやめましょうよ。すでに他人から羨望の眼差しを向けられるものを持っているのです。その僕たちの大事な武器の一つである自由時間を、ただ単に自分で自分を傷つけて、悩んで落ち込むことだけに利用するのは余りにももったいないことだと思います。この好きに使える膨大な時間を、下手に、無駄に浪費してしまうのは非常に残念なことです。
一人で悩み苦しんでも何の解決にもならないだろうと思います。結局、自己否定や自己批判や自己憐憫を繰り返してしまうだけで、自ら進んで良くないほう、良くないほうに向かい、体や心を病んでしまうことにもなりかねません。たとえ世界トップクラスの時間持ちであっても、そんなことに大量の時間を投入するのは本当に意味がないことだと思います。しかも、その暗く沈んでいる時間は、楽しくも面白くもありませんし。
そんなことをずっと続けても、結局、膨大な無意味に死んでいった時間の屍がうずたかく積み上げられていくだけです。ですから、先ずは、不得意な日常が壊れて乱れたこの世の中に立ち向かうためにも、日々の生活の中でこの゛死に時間゛を減らしていく必要があると思います。多少はそのような時間も生きていく上で大事だとは思いますが、多くの時間をそのことに割くのは心身の変調を招くなどの悪手だと思います。
それで、先ずは自分自身の一日24時間の活動表をノートやパソコンのテキストなどに書き出してみるのが良いだろうと考えています。起床時間、就寝時間、食事時間、読書時間、テレビ視聴時間、携帯電話利用時間、パソコン使用時間、何もしていない空白の時間などをしっかりと書き記してみます。自分はどのように日常の一日24時間を使っているのか目に見える形で確認します。ずっと部屋に引きこもっていると曜日や時間感覚が薄れがちですが、しっかりと一日24時間で区切って、今、どういうふうに時間を利用しているのか見てみます。それが今の日常生活の時間の使い方です。そういうふうに世界有数の時間持ちとして今、自由にできる時間を使っているのです。
そして、次にその日常の時間の使い方の中でどのぐらい無為な悩んでいるだけの死に時間が存在しているかチェックして書き記してみます。一日が終わって活動表を書く際に、この時間はずっと苛立って悩んでいるだけだったな、などと記憶を探りながら書き残していっても、または、不安や恐怖に襲われたその都度にメモのように書き残していっても良いと思います。活動表の中で死に時間の部分を色分けして一目で分かるようにするのも一つの手だと思います。
とにかく、一日の生活の中でどこにこの死に時間があるのか見つけ出してみます。落ち込んで沈んだ気持ちのままの一日であっても、本当に丸々一日24時間をずっとすべて死に時間として利用していたのか、何か別のことをしたり、考えたりしていた時間帯は無かったかと、死に時間だけを具体的に取り出すようにします。
そこが本当に必要のない改善すべきところなのです。一日のどこにこの死に時間があるのか分からない状態ではどこをどう見直すべきかもはっきりとしませんから、しっかりと毎日、活動表を付けて確認していきます。一か月ぐらい一日の活動表と死に時間を書き続けていけば、今の自分の日常の時間の使い方のおおよそのパターンや傾向を掴むことができるかと思います。それが分かれば、あとは一日の中に存在する死に時間を意識してできるだけカットしていき、本来の世界に名だたる時間持ちの姿に戻っていくだけです。
自由に使える時間がどれだけ多くあったとしても、そのほとんどを死に時間に使っていたのでは、ただ自分自身を苦しめているだけで、この世の中に新たな日常を作り上げるための時間もない状況になってしまいます。作戦を立てるのにも時間が必要です。だからこそ、無駄に使ってしまっている死に時間を削れるだけ削って、その時間をこれからの戦略を練ることに利用するようにします。
悩むのをストップです。たとえ不安や心配や恐怖が襲ってきても、それに飲み込まれて多くの死に時間を作ってしまわないように十分に気をつけます。悩まずに対応策を考える方向に頭を持っていきます。言わば、悩むな、考えろ、です。それでこそ、本来の時間持ちとしての力が発揮できるというものです。
とは言っても、悩みや不安や恐れは突然わき上がってきたり、別のことを考えようとしても頭の中から離れてくれなかったりすると思います。そういった場合は、その悩みや心配事や恐怖心をひたすら書き残していけば良いと思います。どんなことでも全部書き出して今後の参考資料にしていきます。どんなことに、どういうふうに、悩んで暗い気持ちになってしまうのか、自分の傾向や癖を知るためにも、資料作りだと思って悩みや不安や恐れに囚われた時は積極的に書き残していきます。
そして、その膨大な資料を前に当事者研究のように、一体全体、自分は何に怯え、悩み苦しんでいるのか、または、何が苦手で不得意なのか、などを資料を読み込んで取り出してみます。おぼろげな悩みや不安を抱えたままの状態だと、どうしても掴みどころがなくて、いつのまにか死に時間に囚われかねないので注意が必要です。
例えば、外に出るのが怖い、というような漠然とした恐れや不安に襲われた時は、先ずはその曖昧模糊とした気持ちをそのまま書いて吐き出すのが良いと思います。頭に浮かんでいる否定的な感情をそのまま書けるだけ書いていきます。人に見せるわけでもありませんので、何でもかんでもすべて文字に残してみます。これをするだけでも少し気持ちが落ち着いてくる面もあると思います。
そして、その次に、外・出る・怖い、という言葉は具体的には何を指し示しているのか考えてみます。外、と言ってもそれで何を表現したいかは本当に千差万別ですので、自分にとって外とは何なのかをできる限り具体的に書き出していきます。文字通り家から一歩外に出た場所のことなのか、それとも働く場なのか、もしくは人間関係が必要となる他者がいるところなのか、それとも自分以外に誰も人がいない場所も指しているのか、などと考えて書き記していきます。また、指し示す範囲が大きすぎる言葉は、もっと小さく自分自身に直に関りがある言葉に置き換えてみるのも手だと思います。外ではなくて、近所のコンビニとか、仕事場とか、カラオケボックスとか、公園とか、です。
出る、という言葉についても、同様にどういう意味で自分は使っているのかを考えてみます。単に、家から外出することなのか、それとも外に働きに行くことなのか、または他者がいる場に赴くことなのか、というように考えていきます。
そのようにして、怖い、に関しても何に対してどういった恐怖を抱いているのか、これもできる限り具体的に書き出してみます。外に出ることで、何を恐れていますか。どんなことが起こると怯えていますか。そういうふうに考えていくと、もしかしたら怖いという言葉を使っていますが、実際は、好きじゃない、と表現したほうがしっくりくるかもしれません。外に出るのが怖い、ではなくて、本当は、外に出るのが好きじゃない、または面倒くさい、だけで本当は外に出ることにこれっぽちの恐怖心も持っていないのかもしれません。それなのに、誤った言葉で自分の気持ちや感情を表現しているだけ、というような可能性もあると思いますので、具体的にはっきりと悩みや恐れをできる限り書き出してみます。
また、人に会うのが怖い、などという場合も、ここでの人とは男性なのか女性なのか、大人なのか子どもなのか、どんな見かけの人か、全く知らない人なのか、または顔見知りの近所の人なのか、などというように探っていきます。そうすると、人に会うのが怖い、と一口に言っても、ある種のタイプの人と会うことには恐怖心を感じず問題がなかったり、または、逆にある一定のタイプの人とは会いたくない、というようなことが分かるかもしれません。
そのように具体的にしっかりと自分の不安や恐怖を見つめて、たとえ悩み苦しむ時間が訪れても貴重な資料として書き残して、今後の作戦を立てるための有効な時間にしていきます。そうすれば、もはや悩み苦しむ時間は死に時間ではなくなってしまいます。
手元に自分の悩みや不安や心配事や恐れの内容や傾向や癖を書き記した自分自身に関する大量の情報が溜まってきますから、これから今までとは違う日常をどう作り出すかを考える上で非常に役立つ資料になってきます。情報は多ければ多いほど良いですから、悩むな、考えろ、ができなくても、悩んだら、具体的に書き残す、を心掛けるようにしてみます。
もうこれだけでも一つ日常生活が変化しました。悩み落ち込むだけの死に時間が、貴重な資料作りの時間になりました。もう一日24時間の日常の時間の使い方が、今までとは違うものになってしまいました。小さなことですが、驚くべきことです。本来の時間持ちの姿に近づいてきました。
ですから、些細な時間の使い方の変化もちゃんと一日の活動表に書き記しておきます。死に時間を上手く資料作りの時間に変換できたところは、色分けして見やすくしておいても良いと思います。また、当然ですが、自分が書き残したものはすべて、どんなものであってもちゃんと保管していつでも参照できるようにしておきます。捨てるなどはもっての外です。せっかくの大事な資料なのですから、自分でも何を書いているのかよく分からないものであっても、とにかく残しておきます。今の自分には理解できないだけで、新たな日常を生き始めた自分には必要なものかもしれませんし、とにかく何もかもすべて保存です。
というわけで、日常生活の中に資料作りという新たな時間ができました。この自分自身に関する詳細な報告書は、部屋に引きこもることで得た自由時間を有効利用して得られた、これまた大切な武器ですから、しっかりとこのレポートを読み込んで自分自身の心の動きのパターンを掴んでみます。自分はどういう場面でどういう言動をしてしまう人間なのか、どういう場所や関係にどんな恐怖を感じているのか、それらを自分である程度、分かっているかどうかが、これから新たな日常を獲得するためのキーポイントにもなってくると思いますので、毎日、毎日、ひたすら悩んだら資料作りに精を出していきます。
また、悩みもがき苦しむだけの死に時間をそのように変換していくだけで無意味に悩むことがなくなってきますから、気分や気持ちも良くなってくると思います。当然、悩みや恐怖が全くなくなるわけではありませんが、それにどっぷりと嵌り込むようなことがなくなれば、心もだいぶ楽になってきます。ですから、急に不安や恐れが訪れたら、資料作りのチャンスだ、ぐらいに思って積極的に書き出していきます。やはり、心や精神が不安定でふらふらとした状態だと、新たな日常を築くための良いアイデアもなかなか浮かんでこないだろうと思います。
仕事だとか、自立だとか、を考える前に、死に時間を資料作りの時間に変えながら、心も安定させてみます。穏やかな気持ちでいられるように仕向けてみます。何も一人で部屋に引きこもって悩み続けないといけないことはありません。一人で心穏やかにこれからどう自分自身にとって心地良い日常を作り上げるかを考えたって何の問題もないと思います。というよりも、そのように大量にある持ち時間を使っていくべきだと考えています。
心穏やかに自分自身や世の中をゆっくりとじっくりと眺めてみます。しかし、そうすると、勉学や仕事に忙しく励んでいる人の姿が目に入ってきて、何もやっていないように思える自分自身の状態と比べてしまって穏やかな心持ちなどどこかに消えて焦燥感に駆られてしまうことがあるかと思います。でも、それで何かアクションを起こしたとしても、それは、ただ周りに反応しただけで、自分自身の意思で行動したとは言えないかもしれません。
さらに、周囲に反応してつられるように何かをしてしまうと、せっかく沢山の時間を使って作ってきた自分自身に関する資料にしっかりと書き込まれている自分の苦手なことや不得意なことを進んでやる羽目になってしまうかもしれません。それでは、何のために自分の心の癖や習慣を必死に書き出して調べていたのかも分からなくなってしまいます。
ですから、資料作りで自分自身の傾向や得手、不得手が掴めてきたら、悩むな、考えろの前に、少し穏やかな気持ちで待つ時間を持つようにしてみます。何をそんな悠長なことを、と思われるかもしれませんが、今まで引きこもってきて、穏やかな気持ちでじっと待つことを意識して時間を使ってきたでしょうか。焦ったり、落ち込んだり、苛立ったり、不安になったりすることに時間を割いてきたことは数知れないかと思いますが、心静かにじっと待つという意識的な時間の使い方はして来なかっただろうと思います。
何もしていない、ただ心穏やかに待っているだけの空白の時間というのは、何もやっていないのだから無意味で無価値なもののようにも感じるかもしれませんが、本当のところはどうなのでしょうか。また、もうそうなると、引きこもる行為自体が、傍から見ると何もやっていないように見えて、全く意味も価値もない行為だとなりそうですが、どうなのでしょうか。いや、意味や価値があるのだ、と言っても単なる信条告白のようにしか受け取ってもらえないようにも感じますが、ただ、今の世の中で何もしていない空白の時間を心静かに意識的に持っている人はそれほどいないのではないかと思います。
やはり、今の世界では即座に物事に飛びつく反応速度や瞬発力が重要で、そうでないとコロコロと変わっていく時流に乗り遅れてしまうのでしょうか。時代や流行に遅れるということは、今の社会では徹頭徹尾回避すべき事態なのでしょうか。そうなのかもしれませんが、引きこもることは一歩も二歩も社会や世間や人間関係から後ろに引いた、言わば、遅れた状態であることは確かだろうと思いますので、スタートラインよりも後ろに下がった僕たち引きこもりが、反応能力や瞬発力を発揮すべきではないと思います。僕たちが何か、または誰かに反応して、もしくは急かされてアクションを起こしてしまうと、どんなに早く反応したつもりでも、もともと出発点が違いますので、当然、良い結果は見込めないだろうと思います。しかも、その反応&瞬発力ゲームのような世界で好いカモにされるだけかもしれません。
それならば、即座に反応しようとするのではなくて、じっくりと心穏やかに待ったほうが良いのではないかと思います。少なくとも僕たち引きこもりにこそ、穏やかな気持ちで待つ時間が必要なのではないか、そして、さらに心穏やかに待つことが、反応や瞬発力では劣る僕たちにとって重要な鍵になってくるのではないかと感じています。引いた状態から前に向かって反応するよりも、その場からさらに後ろに一歩でも二歩でも下がって、引いて待ったほうが勝負できるチャンスもあるのではないかと思います。ですから、焦ったり、慌てたり、落ち込んだり、苛立ったり、恐れたりするマイナスの感情を資料作りによって撥ねのけていって、その次は落ち着いた気持ちで待つ時間を持てるように意識してみます。
何かや誰かに反応してしまいそうになった時は、一度、ストップしてみます。悩むのをストップ、と前に書きましたが、その次は、すぐに反応するのをストップです。慌てて反応しないことで、待つ時間ができます。しかも、落ち着いた気持ちで待つことで、状況を把握したり、自分自身に関する資料を参照する余裕もできてきます。もう、どう反応するか、から、どう対応するか、に方向が変わってきました。
だから、例えば、周りの人などから何か嫌なことや心に刺さることを言われても、即座に反応して言い返そうとするのではなくて、そこもちょっと待ってみる訓練をしてみます。言い返さずに穏やかな気持ちで相手の話しが終わるのを待ちます。相手の発言が自分の弱点を執拗に攻撃してきても、それで凹んで落ち込む必要はありません。感情もストップしてひたすら心穏やかに待ちます。しかも、相手はただの憂さ晴らしでこちらに言い募ってきているだけかもしれませんし、気にすることは全くありません。
それでも、心穏やかにじっと待つことが難しくて相手の話しを鵜呑みにして落ち込んでしまいそうになった時は、どういうことを言われると自分は暗く沈んだ気持ちになるのか、どこが自分の弱みなのか、という資料作りに活かすようにしてみます。そうやって、嵐が去るのを静かに待つようにします。
また、周囲からの外に出て世間一般の人たちと同じように働いて欲しい、というような無言のプレッシャーに対しても慌てず冷静に待ちの姿勢を保ちます。この労働の部分も慌てて反応してしまうと、とりあえず職を得たのは良いが、結局、職場に馴染めず人間関係などで躓いて続けられなくなってしまう可能性があります。そして、以前よりもっとひどく落ち込んでしまうかもしれません。それは避けるべきことです。
しかも、何かや誰かに反応して動いて良くない結果になった場合に、反応してしまった自分には言動の責任がないと思う心の動きが出てきて、周りの人を逆恨みするような負の感情に支配されかねません。それも避けたいものです。そのためにも、やはり一度、何かアクションを起こす前に、落ち着いて待つ時間を持つように心掛けてみます。
これで、すでに日常生活の中に、死に時間がなくなり資料作りの時間と心穏やかに待つ時間が生まれました。過剰に悩んで落ち込んでしまうだけの死に時間を大幅にカットし穏やかな気持ちで待つことを意識することで、心と体の状態も少しずつ変わってくるのではないかと思います。それを確認するためにも、今度は睡眠の量と質を見てみます。
一日24時間の活動表の中に毎日必ず起床、就寝時間が記されていると思います。最も日常生活のリズムを決定づける要素が、眠ること、だと思いますので、悩み苦しむ死に時間の次は、起きて活動していない、言わば、゛死んでいる時間゛をチェックしてみます。一日の生活の中のどこに、この死んでいる時間があるでしょうか。おおよそ日常の起床、就寝時間は定まっているでしょうか。それとも、その日によってまちまちでしょうか。昼寝などの短い睡眠も取っているでしょうか。また、ぐっすりと深く眠れているでしょうか。それとも浅い眠りで途中でよく目が覚めてしまうでしょうか。
そのような自分の死んでいる時間の質と量を日々、一日の活動表を付けながらはっきりと把握していきます。そして、日常生活のリズムを決定付けるこの死んでいる時間を、一日の中のどこに差し込むのが自分にとって最も心地良いのか実験してみます。こんなことも有り余るほどの時間持ちだからこそできる芸当です。様々な時間帯にこの死んでいる時間を入れてみて、睡眠の質と量、そして、起きて活動する時間帯にどのような影響があるか見てみます。起きている時間は死んでいる時間によって決定される、と言っても過言ではないと思いますので、思う存分、十分な時間を使って調べ上げていきます。そして、一日24時間でどれぐらいの時間、どの時間帯に眠るのが自分には最も心地良くベストであるか掴んでいきます。
また、起きている時間の中に存在する悩み苦しむだけの死に時間を削り、穏やかな気持ちで待つようになることで、どう死んでいる時間の質と量が変わっていくかも観察してみます。徐々に心地良い、深い眠りが得られるようになれば良いと思います。
さらにお風呂などで体を温めてから眠りに入ると、睡眠の質や量がどういった影響を受けるか観察してみるのも興味深いと思います。もっと言えば、夢を見る頻度や内容がどう変化していくかもチェックしてみても面白いだろうと思います。また、良く眠れないという場合、ただ単に体が疲れていないだけということもありそうですので、たくさん体を動かしてへとへとに疲れ切った状態で寝てみるのも手かと思います。睡眠の研究となると、いろいろと探ることが出てきて大忙しです。
もうこうなると、部屋に引きこもっていてもやる事がたくさんあって、悩んでいる時間なんてないですよ。死に時間をどんどん削っていって、死んでいる時間をますます充実させていきます。そして、それを毎日、一日の活動表に書き込んで変わっていく日常の時間の使い方を目に見える形で掴んでみます。
それでは、次は普段、着ている服にちょっと目を向けてみます。先ず、起きている時と寝ている時とで服を着替えているでしょうか。ずっと部屋に引きこもっている生活では、外出することも他人に会うこともほとんどないために、一日中同じ服装のままで過ごしているかもしれません。
もしそうでしたら、起床時に服を着替える実験をしてみれば良いと思います。服装を変えることでどういった心や気持ちの変化が訪れるでしょうか。そこにも大量の時間を使って、些細な違いも見逃さないように調べてみます。また、服の色にも注目してみて、色による感情や気持ちの変化があるのかも見ていきます。これも時間持ちとして十分に有効な時間の使い方だと思います。
また、朝起きて先ずどのような活動から一日を始めるかは、かなりその日一日のリズムを決める要素になるだろうと思います。ですから、一日が終わった後に書く活動表とは別に、翌日の24時間の過ごし方の予定を書く計画表も作ってみます。そして、その翌日の計画表の中でどんな活動から一日を開始すれば、その日一日が心地良く流れるだろうかと考えて書き記して実験していきます。
要は、一日の間に、その日の実際の時間の使い方を書き記す活動表と翌日の時間の使い方をおおよそ決める計画表の二つを作成することになります。一日の最後に計画表と活動表を見比べて、思い描いたように一日24時間を過ごせたかどうか確認して時間の使い方を変えてみたほうがよい箇所がないかどうか見直してみます。そして、変えたほうが良いと思うところを翌日の計画表に反映させてみて、その日の活動表で実際にどうだったかをチェックして、また次の日の予定に活かしてみるという繰り返しの作業を続けていきます。
とにかく、活動表や計画表に書き記した時間の利用法に関しては、自分の持ち時間と体と心を使って自分自身で調べるようにします。睡眠や服装や色彩や生活リズムなどに関する書物は世の中に山ほど出回っていますし、ネットで少し探せばいくらでも情報を得られるかと思います。しかし、今、僕たちが欲しているのは、一般化された誰にでも当てはまるようなデータではなくて、自分だけしか必要としない超個人的な情報です。他人にとっては本当に全く何の価値も意味もないものですが、自分にとっては大切な今後生きていく上での指針にもなるものです。そんな重要なものを他人任せになんてできません。しっかりと自分の時間と体と心を十分過ぎるぐらい使って、実験して掴んでいきます。
また、もしそれが、たとえ他人と大きく違っていても気にしません。自分にとって、それがしっくりとくる心地良いものであれば、それで良いのです。無理に他人に合わせる必要などないのです。他の人がどういった日常を送っているかなど今は気にしなくて大丈夫です。自分にとって価値のある日常を送る上での大切な資料をたくさん集めていくだけです。
それでは、今一度、一日の活動表と計画表を見てみます。ここまでに書いたきたようなことを実践するだけでも、もうすでにどんどん日常の時間の使い方が変わってきているはずです。それを続けていって、すべての日常の時間の使い方を変えてしまえば、それはもう別の日常を生きていることになってしまいます。もう別の人生を歩んでいます。何も大袈裟なことをしなくても、日常の時間の使い方を見直していくだけで新たな日常が得られます。
資料作りや待つ時間を日常の中に組み込み、睡眠や服装に注目することで、もう以前の引きこもり生活とは違うものになりました。傍から見れば何の変化もないかもしれませんが、決定的に違います。それはもう前とは異なる生活を生き始めています。全く違うことに時間を使っていますから、一日24時間の日常が変わってくるのは当たり前のことです。活動表を見てみれば、一目瞭然です。
だから、もう別の日常を手にしているといっても良いのかもしれません。睡眠という死んでいる時間に介入して朝早く夜明けとともに起きるようになれば、それだけで日常という現実が違った現われ方をするはずです。そして、朝焼けの空を眺めるという新たな時間の使い方を生活の中に組み込めば、それで、また日常が変わります。
大量に自由に使える時間がある今、自分の一日24時間の活動を、例えば、食事時間やテレビ視聴時間を入れ替えたり、ずらしたり、いろいろと試してみれば良いと思います。今の引きこもり生活で自分にとって最も心地良くベストな日常を作り出してみます。
こんなことができるのも時間持ちだからです。もし学業や仕事に従事していれば、一日のすべての時間を自分の好き勝手に使うことなんてできません。今、たとえ仮初めであっても一日24時間すべてを自分の手の内に収めているのです。何をしても良いのです。これは本当に凄いことです。どんなふうにでも好きに一日を組み立てることができるのです。言わば、強制される時間がなく、自由時間しかないのです。こんな日常を送れること自体が、奇跡のようですが、それが、今、目の前にあるのです。奇跡の日々を送っているのです。だから、その奇跡の輝きの中で、一日24時間をどう自由に心地良く、気持ち良く過ごせるかを考えるべきです。悩んでいる場合ではないのです。奇跡の時間持ちとして、武器を最大限、有効活用していきます。
生活や人生を変えたいという場合、何も大きなことをする必要などなく、日々の日常の時間の使い方を変えれば、もうそれだけで必然的に変わってしまいます。そんなものなのだと思います。あまり小難しく考え込まないほうが良いようです。
毎日、書き続けている活動表を見直してみて、例えば、一か月前と今とで一日24時間の日常の時間の使い方が変わってしまっているなら、もう一か月前とは違う生活を送っていることになります。違う日常を手に入れています。
そうなのです。だから、一日の活動表と計画表を書き記して、さらに見直す時間も一日の中で十分に確保するようにすれば良いと思います。過去の活動表と今のを見比べるだけでも、日常が変わってきているのが感じられると思います。また、その見直しの作業の中で新たな日常を生きていくための思いもよらない発見やアイデアが浮かぶことがあるかもしれません。ある日突然、今までにない素晴らしい日常の時間の使い方を思いつくかもしれません。一日の活動表と計画表を書き記していくだけでも楽しくなってきます。そうでないと続けていくこともできませんし。とにかく、毎日、コツコツとゆっくりと自分の日常の時間を見つめていきます。この奇跡の日々をじっくりと味わってみます。
それでは、次は、どうすれば穏やかで心地良い環境を自分の周りに作っていけるかを考えてみたいと思います。自分の性格とかではなくて、周りの環境を作り変える方向を目指してみます。
コメント
コメントを投稿