スキップしてメイン コンテンツに移動

引きこもり当事者カラッと研究術 はじめに

 はじめに 苦手な日常が崩れ去って 

 新型コロナウイルス感染の世界的な広がり。今まで歩んでいた道が、突然、何の予兆もなく陥没し、いきなり行き先が真っ暗になってしまったように感じています。堅固で壊れることはないだろうと信じていた日常があっけなく消えて、非日常が急に目の前に現れ出てきたようです。どこか遠い世界での出来事や他人事ではなくて、直接、僕の日常をも壊していき、僕は仕事がなくなり、自宅待機を余儀なくされ、じっと家から出かけずに、ひたすら何かを眺める生活を送ることになりました。以前、部屋にずっと引きこもっていた頃のように。

 そして、一年半以上にも渡って家に籠り続けるうちに、これは、僕のような引きこもり体質の者にとって、千載一遇の機会ではないかと思い始めました。日常の通常運転の社会や人間関係の中ではどうしても生きづらさを感じてしまいますが、その不得意で苦手な日常生活が終りを告げ、世の中が、何でもあり、かのように荒れに荒れているように見えてきました。言わば、この混乱状態の中で仕切り直しができるのではないか、もう一度、生活を、人生を立て直せるのではないかと思えてきました。引きこもり支援施設で一年ほど暮らし、そして、今でも未だに人と接することに難がある僕のところに絶好のチャンスが巡ってきたと。

 僕には、どうしても僕のような引きこもり体質の者が部屋にじっと閉じこもるのは、同じことの繰り返しで生きる価値もないと感じてしまうほど飽き飽きしているこの世の中が崩れる瞬間を待ち望む気持ちからだと思えてしょうがありません。今、ようやくその時が訪れたのだと思います。しかも、世界規模で。時は今なのだと思います。

 平時の世の中で上手く生きていけない僕たち引きこもりが、動き回れる場が急に現れ出てきました。まだ、死なずに生きていて良かったですね、あなたも僕も。待った甲斐があったというものです。まさかこんな舞台を用意してくれていたとは。元気が、力が、どこからか沸いてきます。もう部屋に引きこもって、暗く沈んでいる場合ではないはずです。さっさとそんな悩みや苦しみなどとはサヨナラして挑みましょう、憎き敵だった日常が壊れて乱れきったこの世の中に。

 ワクワク、ドキドキしてきます。こんな気持ちの高ぶりを感じたことが今までにあったでしょうか。僕は、43歳の今まで死なずに生きてきて良かったと心底思っています。あり得ないようなことが現実に起こったのですよ。周りを見渡してみてください。皆、誰も彼もマスクで顔を覆っています。顔の下半分を布切れで隠した人間ばかりです。こんなことを想像することができましたか。人類すべてが、口を、鼻を、一斉に急に隠し出しました。道ですれ違う人すべてがマスクをしている状況を未だに不思議に感じることがあります。

 そして、やはり最大の敵だった日常という現実が崩れ去ったのだと感じています。これで何とかなるぞ、と人生、振り出しに戻ったような状態であっても、心が高揚してきます。すべてがリセットされました。その告げ知らせが僕たちのもとにも届きました。もう一回、やり直せます。そして、これが、世界がごろっと変わるラストチャンスなんだとも妙に納得しています。これが最後。ここで、せっかく壊れた苦手な日常を再び元の状態で取り戻すかのような言動を取ってしまうと、もうゲームオーバーで、また、不得意で以前と何の代わり映えもしない見飽きた日常という現実を手にしてしまうことにもなりかねません。日常が再び固まってしまう前に、従来とは異なるものにすべく対応と対策を練る必要があるだろうと思います。

 やっと崩れ去った苦手で好きでもないものに感傷的になる必要などありません。そんなものは捨て去って、新たな不得手でない日常を獲得することに向かうべきです。時は満ちた、ということです。開いた裂け目がまた塞がってしまう前に、僕たち引きこもりにとって心地良い今までとは違う日常という現実を築くことを目指しましょう。きっと大丈夫です。僕たちには引きこもって溜めに溜めたエネルギーが体中に漲っていますから。

コメント

このブログの人気の投稿

独り言の効用 おわりに

  おわりに 充実した独り言ライフへ    独り言マスターへの道    独り言劇場。いかに独り言を活用するかという方法を見てきましたが、これは日常生活にも通じていて、引きこもりライフから独り言ライフへの転換をも目指しています。独り言を使って日常を充実させる実験でもあります。独り言という今まで有効活用されずに見過ごされてきた資源に目を向けて、それで自己充足を目指す試みです。  引きこもりライフで溢れ出てくる独り言は、実はとめどなく次々と湧き出てくる貴重な資源だったのです。お宝です。人と普通に話すという行為を放棄してしまった人のところに届けられる恵みです。その有り難い助け舟をみすみす逃してしまうのは、あまりにももったいない行為です。金銀財宝をどっさりと積んでこちらに向かってきてくれるのですから、感謝して受け取るべきです。  独り言は宝の山だと気づけば、こんなに嬉しいことはありません。なにせ毎日、毎日、頼みもしていないのに、どこからともなく自分のところに届けてくれます。部屋中に沢山の独り言が所狭しとひしめいています。それをどう使うかだけです。自分を苦しめ、悩ませ、暗く落ち込ませる道具として利用するのも、楽しく面白く笑える材料として活用するのも、自分次第です。手元に最高級の食材は用意されています。それをどう自分が料理するかだけです。  独り言は助け舟であり、相棒であり、パートナーです。良いも悪いもありません。良いパートナーとするか、悪いパートナーとするかは、こちらの責任です。せっかく、絶え間なく送らてくるのですから、良い関係を結んで充実した独り言ライフへ突き進んだほうが、楽しいし面白いです。一人で部屋の中で楽しんでも誰も気にしません。部屋の中で一人で苦しみ悩んでも誰も気にしないのと同じです。そうならば、面白おかしく独り言と戯れて、独り言を自分のベストパートナーにしてみます。  一人でありながら、本当は一人ではなかったのです。いつもそばに独り言がいてくれます。そんな稀で貴重な存在なのですから、優しく丁寧に感謝の念を持って接してみます。どんな時でもそばにやって来てくれるのですから、こんなにありがたいことはありません。だから、閉じられた暗く湿った独り言から開かれた清々しい独り言へと進むべきです。  独り言ひとつで日常が変わるのです。日...

独り言の効用 1-2

  1-2. 独り言という謎解きゲーム   五感から独り言をチェック 色彩から   それでは、今度は独り言の発生を五感から意識してみます。普段、現実を五感によって捉えていますが、それと同じように独り言を五感から見てみます。色、匂い、音、味、感触から独り言を調べてみます。  まず、視覚ですが、目に見えるものの色をチェックしてみます。すべてのものは何らかの色を有していますので、自分の周りにある家具や箪笥、壁や窓、机や椅子やベッド、コップや皿などの色を一つずつ目に入れていきます。できるならば、間取り図のようなものを描いて色鉛筆などでどんな色がどんな具合にどこに広がっているかを描き込んでみると、より一層分かり易いです。それが、普段の色の見え方になります。独り言が発生していない平常時のカラーです。また、着ている服の色も同時に確認しておきます。  そして、独り言が発生した時にこの色彩が変わるかどうか確認してみます。自分の周りに広がるいつもの色が独り言を始めることで劇的に変化するということはないと思いますが、独り言最中に特に目に付く色というのはあるかもしれません。何色が際立って見えるか確認してみます。どんな色に目が惹きつけられるか見てみます。  さらに周囲に実際に存在するものの色だけでなくて、独り言を発している時にどんな色が頭の中で見えているかも探ってみます。今の独り言を色で表すと何色になるか考えてみます。独り言の内容などは全く気にせずに、色としての側面だけに意識を向けます。そうすると、何かしらのカラーが見えてくるだろうと思います。  もちろん、独り言が止んだ後の色の見え方も感じてみます。部屋の中を見渡してみて、独り言の前と後とで何か色彩に変化がないか眺めてみます。一人でつぶやく行為を通過することで以前と違ったカラーで見えてくるものがないか探ってみます。ひょっとすると、前は気づかなかった色が目に留まるかもしれません。また、着ている服の色も再度、確認してみます。  とにかく、すべてを色として感じてみます。色で独り言のすべてを表現してみます。そうなると、色として自分の独り言を捉えるために絵を描くのも一つの手だと思います。自分の独り言はどんな色彩に溢れているのか絵の具を使って描いてみます。独り言を色として絵に落とし込む作業は興味深いですし、楽しいです。 ...

独り言の効用 2-2

  2-2. 独り言のバリエーション キャラクター作り  人工物に対する独り言 そこにある物体、物たち   次は、生きていない物、人工物を独り言内対話の対象にできるか見ていきます。生き物や自然物ではない物に話しかけられるかということになりますが、これは普段の生活でもすでに行なっているだろうと思います。物に愛着を感じるということがありますが、それはその物と自分との間にある関係が作られているということだと思います。実際に物に話しかけないかもしれませんが、そこには何らかの対話が発生しています。  特に子どもの頃に大事にしていたぬいぐるみ、人形、本、おもちゃなどは、今、使うことがなくてもなかなか捨てられないという感情が湧いてきます。物が単なる使い捨ての物体ではなくて、そこに何かが宿っているという感覚をおぼえます。お墓参りでも、墓石という石を前にして拝みますが、それは物体としての石に話しかけているわけではなくて、そこに宿る祖先や死者に語りかけているのだと思います。聖遺物などもその物自体ではなくて、その後ろに広がる関係が大切になってくるはずです。だから、もしその物が表す関係を感じられないなら、その物は単なる物体でしかなくなって、使わないのだから、必要ないのだから、捨てれば良い、というような考えになっていくのだろうと思います。  物と何の関係も結ばないこともありますが、物に名前を付ける行為や物を自分の所有物だと見なす感覚が、物と自分との関係を発生させる契機になるのかもしれません。ただ必要だから、便利だから使うというのではない、その物でないと駄目だというような唯一性の関係が結ばれるのだろうと思います。  物もある意味生きていて、こちらに語りかけてくるし、こちらも話しかけるというようなことは子どもの頃はよく経験していたはずです。人工物と生き物や自然物を区別するという感覚が薄く、何とでもコミュニケーションできるし、実際にしていたのかもしれません。   そう考えて いくと、独り言内対話の相手として人工物も対象にできるはずです。実際に今の生活で愛着を感じている物や捨てられない物があると思います。そのすでに何らかの関係を結んでしまっている物体に話しかけることから始めてみます。声に出して物に話しかけるのは変な感じがするかもしれませんが、部屋の中で一人で簡単にできるこ...